
700マガジン
フットゴルフワールドカップ ~その5~
2021/12/29
2017年11月15日
第3回フットゴルフワールドカップがモロッコのマラケシュで開催されることが正式に発表されました。
日本フットゴルフ界にとって2度目のワールドカップとなります。
開催期間は2018年12月9日(日)から16日(日)の8日間。
モロッコ大会は男子の個人戦、団体戦に加えシニア、女子の2つのカテゴリーが新設。規模の大幅な拡大が図られました。
これによりアルゼンチン大会よりも多くの選手にワールドカップ出場の可能性が広がったことになります。
このモロッコワールドカップへの想いや戦いは、アルゼンチン大会が終わったと同時、いやアルゼンチン大会の代表選手が決まった時から始まっていたのだと想像出来ます。ただ、モロッコ大会の開催や詳細が正式に発表されてさらに大会に賭ける想いは大きく広がっていったことでしょう。
2014年に日本フットゴルフ協会が設立され、初めてのフットゴルフ日本代表 “オリジナル6” が誕生した2015年、ワールドカップアルゼンチン大会やアジアカップが開催された2016年、国内で世界最高ランクの大会が軽井沢で開催された2017年。そして2度目のワールドカップイヤーとなった2018年。
目まぐるしく過ぎていく激動の日々。
このころの様子を振り返っていただきました。
「アルゼンチンのワールドカップ後、世間に少しずつ浸透してきたフットゴルフの常設コースが増え始めます。群馬県でも二つ目の常設コースも整備され、各地で地域リーグ戦や常設コースでの初心者向けのコンペなどが開催されていきました。学生の運営する学生カップなども行われるようになったり、ジャパンオープンを上回る賞金の大会が行われたり、シニアのための大会やレディースのための大会なども行われました。
そして何より2017年から2年連続で世界最高位のメジャー大会が日本でも行われたことで日本人が世界基準を肌で感じる素晴らしい体験となりました。
このようなことを期にSNSやメディア露出も増えるようになりフットゴルフで日本代表を目指そうという選手もどんどん増えていきました。
また、海外の大会へ進んで参加する選手もどんどん出てきて日本フットゴルフ界の目線が海外基準に向けられたことを証明しています。
選手のレベルも確実に上がっていました。上位争いする人数も増えましたし、みんながライバルでした。
2018年のワールドカップには前回のアルゼンチンでのワールドカップメンバーが半分、アルゼンチンでのワールドカップを経験していないメンバーが半分くらいの割合でバランスがとれていました。初選出のメンバーでは、今回のワールドカップから初めてシニアとレディースという枠ができ、より一層フットゴルフをいろんな世代が楽しむことができるという印象が世間に見せられたのではないかなと思います。さらには丸山桂里奈さんが日本代表に選出されメディアにも一層取り上げてもらえました。」(冨沢和未選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
運命の2018年シーズンが幕を開けました。モロッコ大会出場への代表権が懸かった勝負の1年です。
モロッコ大会への日本代表選手の選考基準は、
1.この年の第34回~第39回までの国内ジャパンオープン6大会で獲得したワールドツアーランキングポイントの高得点4つとワールドツアーのメジャー大会である「FIFG WORLDTOUR JAPAN FOOTGOLF INTERNATIONAL OPEN」(9月7日~9日に岐阜県のフォーティーンヒルズカントリークラブで開催)で獲得したワールドツアーランキングポイントの合計得点の上位者
2.日本フットゴルフ協会推薦枠
さらに後日、11月4日に開催のジャパンオープンファイナル(この年のジャパンオープン各大会で10位タイに入った選手が出場出来る)の優勝者が同じく協会推薦枠で出場出来ることが発表されました。
3月24日からの2018年ジャパンオープン。選手たちにシーズンを振り返っていただきました。
「アルゼンチンワールドカップでは、ギリギリでの予選通過もケガにより最後は棄権するという悔しさに終わった。
すべてにおいて考えが甘く全く通用しなかった。約2年ティーキック、パッティング、コースマネジメントすべてを試行錯誤したが結果がなかなか出ず藻掻いていた。
この間には日本初のフットゴルフチームGanadorFootgolfClubにも所属しモロッコワールドカップが決まり、WCでの悔しさはWCでしか返せない考えていたため、モロッコワールドカップ出場への思いは人一倍あったと思います。
勝ちにこだわる強い思いと重ねた練習を糧に2018シーズン開幕戦は優勝という最高のスタートを切れました。
午前午後の部に分かれた大会で、午前にプレーを終え暫定1位Tで午後の部の結果を待つという、集中力のOnOffの切り替えが非常に難しかったが、夕方に行われたプレーオフを勝ち切ることができ非常にうれしかったのを思い出します。またGanadorのチームメイトが自分より喜んでくれたことが印象的でした。
開幕スタートダッシュを切ることができ、その後は順調にポイントを積み重ねていきました。シーズン最終戦もプレーオフの末優勝で締めくくることができました。結果が出てきたことには満足しつつも、世界で勝つためにはこのままではいけないという焦りもあった。得意のアプローチでいかにストレスないパット距離を残せるかが勝負になると考え更なる磨きとタフな戦いに向けて体づくりを重点的に行っていった。」(山縣祐人選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「国内でも上位選手が拮抗し出して、優勝者が毎回かわるようになってきました。各選手自分の強みを伸ばしコースによっても向き不向きが結構わかれるようになってきました。
個人としては入賞は複数回あるものの、この年は残念ながら国内1勝にとどまってしまいました。」(桑田寛之選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「2018年については、ワールドカップに正式に女子選手、シニアカテゴリが正式追加され、各カテゴリーでの代表選考が激化しました。その中でも一般カテゴリは若手選手の台頭、フットゴルフを新たに始めたメンバーが上位に食い込んでフットゴルフのレベルが非常に上がった1年であったと思います。
特に印象に残ったのが、フットゴルフを始めてから頭角を現した平野選手です。JapanOpenでの優勝はないものの、各大会で上位に入り、年上の選手にプレッシャーを与える選手に成長しました。
勢いそのままに、ワールドカップでの個人戦メンバーに選出され、団体戦に出場した三窪選手、高波瀬選手、辻本選手とともにフットゴルフの新時代を感じました。」(田中雄太選手/2016年・2018年ワールドカップ出場)
「2018年シーズンはフットゴルフを始めて今現在まででのキャリアハイのシーズンでした。ツアー戦で数多く表彰台に立ち、年間ランキングも2位終え、アジア杯・W杯の出場権も得ることができました。
3月に大学を卒業し、社会人として迎えたシーズンでしたが、一般企業には就職せずにフットゴルフを中心に生計を立てていました。
沢山の方々にフットゴルフに向き合える環境を作っていただいたり、切磋琢磨し合う選手とも日々コミュニケーションを取る事ができたりと、フットゴルフに心から向き合うことができたからこその好成績だったと感じています。」(平野靖之選手/2018年ワールドカップ出場)
この年のジャパンオープンの優勝者をまとめてみました。
第1戦:山縣祐人選手
第2戦:新井晋選手
第3戦:小林隼人選手
第4戦:桑田寛之選手
第5戦:鈴木秀成選手
第6戦:山縣祐人選手
ファイナル:小林隼人選手
この年2勝を挙げた山縣選手、第6戦後のファイナルに優勝しトータル2勝の小林選手の活躍が目立つ中、毎回優勝者が入れ替わる大激戦となりました。しかも第1戦から第6戦中半分の3戦で優勝者がプレーオフで決まる(第4戦、第6戦では4名によるプレーオフと大混戦!!)というスコアも拮抗した戦いが繰り広げられました。
「2018シーズンは第2回アジアカップ、そして第3回ワールドカップの開催が決まっていました。両大会での出場はもちろん、結果を出すために何をすべきかを自問しながら始まりました第2回ワールドカップ以降、次のワールドカップで結果の残すために積極的に海外遠征を重ねました。
2018年の目標を当時のブログで掲げていました
・ワールドカップ2018個人戦50位以内
・アジアカップ2018個人戦3位以内
・ワールドランキング2018 50位以内
ジャパンツアー2018 第2戦<第35回ジャパンオープン(4/22開催)>で約2年ぶりの優勝を果し、幸先の良いスタートが切れました。
ワールドカップの開催地はモロッコ・マラケシュ。
フランス協会が全面バックアップした大会のため、ゴルフグリーンを通した位置にカップが切られるヨーロッパ仕様のコースが想定されました。久しぶりにヨーロッパの大会へ出場して、ヨーロッパ仕様の感覚を呼び戻すためにヨーロッパの大会へ久しぶりに出場しようと検討していましたが、スケジュールが合わず…急遽アメリカのU.S. OPEN 2018 への出場を決め、日本から桑田選手と大塚有尋選手と3人で参戦。U.S. OPEN 2017(開催:フロリダ州オーランド)とは開催地が異なり、カルフォルニア州での開催。アンジュレーションがあまりないコースでしたが、カップはフェアウェイに切ってあるアメリカ仕様。日本では見られないセッティングはワールドカップでも生きると判断して出場を決めました。世界の友だちとの再会や異国のコーヒーショップでのアツいフットゴルフ談義は海外遠征の楽しみ。練習日1日本戦3日間の大会はワールドカップ仕様。練習ラウンドは初コースを省エネで効率よく情報収集を心がけ、本戦は他選手のマネジメントを参考にしながらアップデート。結果は14位(104人中)でフィニッシュ。
ワールドツアー最上位のメジャー大会で目標20位以内が達成できたものの、やはり世界との差を改めて痛感。ただ、速いフェアウェイグリーンにある程度対応できた事が収穫でした。」(新井晋選手/2016年、2018年ワールドカップ出場)
左から:新井晋選手、大塚有尋選手、桑田寛之選手
ジャパンオープンやアジアカップなど多忙なスケジュールの中、海外での戦いに臨んだ新井選手たち。ワールドカップ出場を目指しながら目線はすでにワールドカップ本大会での戦いに向かっていたのかもしれません。
夏には第2回となるアジアカップが中国で開催されます(7月4日~6日の3日間)。ワールドカップを5か月後に控えた大切な時期に開催された海外での真剣勝負の舞台。
2016年の第1回大会では個人で日本選手が1位~3位を独占。団体でも1位、2位の成績を収めるなど日本勢が大活躍しました。今大会でも選手たちの思いは前回同様の結果を期するものがありました。
大会の様子を振り返っていただきました。
「2016年に続き、2度目のアジアップでした。前回の大会時は選ばれた事に満足してしまい、本番では思うような結果を残せませんでした。2018年は個人戦で優勝、団体戦でもチームを引っ張るつもりで臨みましたが、不甲斐ない結果に終わってしまいました。この敗戦を機により一層フットゴルフと向き合い、本気でフットゴルフ選手として日本・アジアを代表する選手になりたいと思いました。」(平野靖之選手)
「ジャパンツアー2018 第4戦目までの結果で「一般10人、シニア4人、女子4人」が選出され、一般で唯一の40代選手として選ばれました。
余談ですが、ワールドカップ2018の日本出場枠は一般「14」だったので、実はアジアカップ代表の方が狭き門だったんです。第1回アジアカップ(2016)ではルール違反を犯してペナルティを受けるという失態があったので、アジアカップに期するものがありました。
この時はリスクを冒したプレーをしないと上位にいけないと練習ラウンドで感じ、ただ自分のプレースタイルに合わない無謀なプレーは選択しないと決めて3日間を戦いました。
国内ツアーではこのようなチャレンジをしていなかったので多少不安はありましたが、日を追うごとに自信を深め、最終日4位スタートから一つ順位を上げて3位に入ることができました
上二人には追い付けなかったですが、全てを出し切ったと胸を張って言えたので、3位でも嬉しい結果で、自信に繋がりました。」(新井晋選手 ※今大会、個人戦第3位の成績を収める)
この大会、一般個人戦の優勝は小林隼人選手。2016年ワールドカップでも落選を経験するなど日本代表を巡っては悔しい思いも経験しましたが待ちに待った国際舞台での勲章となりました。
「前回大会の代表落選の悔しさをバネに代表入り、そして個人優勝しました!団体戦を含めて毎日二試合、猛暑の中でも肉体的にも精神的にもギリギリの戦いでした。この大会で、なんとなく気持ちの強さみたいなものが出てきました。最終日最終組、ヒデとの優勝争いは一生忘れないと思います。」
そんな小林選手と優勝争いを繰り広げた鈴木秀成選手。準優勝という立派な結果ながらそこには大きな落胆があったようです。
「個人3位、団体優勝の成績を収めた初めてのアジアカップから2年。完全制覇(個人、団体共に優勝)を目標に第2回アジアカップに挑みました。開催の地は前回同様、灼熱の地、中国。個人戦は3日間54ホールのストロークプレー、また団体戦も2日間ととてもタフなスケジュールでした。
そしてこの大会で私は最も残酷な経験をします。
2位と2打差、TOPで迎えた最終日。
終盤の残り3ホールで1位タイとなり迎えた16番ホールで小林隼人選手のイーグルが決まり、ついに逆転。頭が真っ白になるとはこういう事なんだと思うくらい残りのホールの記憶がなく、その後17番でもスコアを伸ばせず最終的には1打及ばず準優勝。
続く団体戦はプレーオフにもつれ込む接戦、対戦国はホームの中国。
プレーオフはフォーサム1マッチで戦うことになり日本を代表して小林隼人選手とペアで出場しました。
しかし、ここでも信じられないようなミスをしてしまう結果に。
カップ下にキッチリつければバーディチャンスの場面でダブってしまい、大きく引っかけたボールはカップ左奥にあるバンカーへ。カップを狙うにはとても難しい位置に置いてしまい、結局中国チームにバーディを奪われて、敗戦。
この結果、個人・団体共に準優勝という結果に終わりました。
なんであの場面でこんなことをしてしまったんだ、と帰国してからもしばらく無力感と悲壮感に打ちひしがれましたし、自分は大事な場面で力を発揮できる選手ではないんじゃないか、と大きく自信を失ってしまった時期でした。」
鈴木選手はこの後ワールドカップモロッコ大会に出場し、日本人過去最高位となる個人戦20位(前回アルゼンチン大会の日本人最高位は冨沢和美選手の80位)という大躍進を果たします。そこには5か月前のこの苦い経験から立ち直ろうと自らと戦い、打ち勝った姿が想像できます。その模様は次回のワールドカップモロッコ大会本大会編で詳しくお伝えします。
大会結果をまとめました。
一般
1位:小林隼人選手
2位:鈴木秀成選手
3位:新井晋選手
女子
1位:山野香織選手
2位:阿漕洋子選手
3位:西畑静佳選手
シニア
3位:大塚有尋選手
チーム戦
2位:日本チーム
男子に負けじと女子も1位から3位を日本勢が独占。全カテゴリーで日本選手が入賞を果たす素晴らしい結果となりました。
そして9月7日~9日に岐阜県のフォーティーンヒルズカントリークラブで開催されたワールドツアーのメジャー大会である「FIFG WORLDTOUR JAPAN FOOTGOLF INTERNATIONAL OPEN」。
前年の軽井沢で開催された同大会で優勝し、見事2017年度世界ランク1位に輝いたベンジャミン・クラーク(イギリス)をはじめ、のちにワールドカップモロッコ大会で優勝することになるマティアス・ペローネ、サッカーアルゼンチン代表キャプテンとしての歴代最多出場記録を持つロベルト・アジャラなど世界のトップ選手が一堂に会し、ワールドカップに向けた貴重な「世界と勝負する」機会となりました。
大会の様子を振り返っていただきました。
「海外からも多くの選手が来日してくれて、また芸能界からも丸山桂里奈さん始め出場してくれて盛り上がった大会となりました。山岳コースとして海外選手の飛距離についていけず、苦戦した結果納得のいかない16位でのフィニッシュとなりました。」(桑田寛之選手)
「初日のラウンドは、数ヶ月後に世界チャンピョンとなるマティアス・ペローネ選手と同組でした。オフ時は軽いジョークを飛ばすこともあるマティですが、ラウンド中はいつも物静かに振る舞います。他の選手への気遣いをしながらも、自身のプレーにとても集中していることを感じ取れました。体格的には決して大きな選手ではありませんが、下半身の筋肉のつき方はやはり日本人のものとは違います。初日のマティアスは、練習ラウンドでの情報を基に淡々とプレーしていました。それでも、本調子ではなかったのか、いくつかのホールで取りこぼしもありました。普段ジャパン・ツアーでラウンドしているコースを、海外のトップ選手と一緒にプレーすることはとても貴重な機会です。彼らがどのくらいの精度を持って攻略するのか、プレーをしながら興味を持って観察しました。2日目を終わりシニア3位タイ。最終日は同組のアメリカ、アルゼンチン、ハンガリーの選手と優勝を争いました。残念ながらスコアを伸ばすことが出来ずに終わりました。あらためてフットゴルファーとして何年も経験を積んでいる、海外のシニアのトップ選手たちの実力を肌で感じることとなりました。」(大塚有尋選手/2018年ワールドカップ出場)
「世界のトップ選手とラウンドでき、自分のレベルを測れる絶好の機会でした。
本シーズンは調子も良く、この大会も世界のトップ選手に混ざり全体の10位(日本人2位)で入賞する事ができました。3日間を通して世界のトップ選手と同組でプレーをしレベルの高さを改めて痛感しましたが、通用する部分もある事と感じ、W杯に向けて前向きな気持ちで国際大会を終える事ができました。」(平野靖之選手)
「2018年にフットゴルフを始めて、最初に海外の選手と戦ったのが、JAPAN INTERNATIONAL FOOTGOLF OPENでした。
海外のトップ選手も参戦しており、最終日の最終組で冨沢選手が戦っているのを観て、私も絶対そこまでいって勝ちきりたいと思ったのを今でも覚えています。」(立花友佑選手)
「1st ラウンドは朝8時からのスタートでした。
あいにくの雨で降ったり止んだりを繰り返した辛いラウンドでした。また雨の影響で芝が重かったのを覚えています。フットゴルフは風の影響を受けやすいので、厄介だったのが時折吹く風の向きが時間により変わったことです。
1st ラウンドを終え、3アンダーで僕含め3人が並び、1打差の4位タイに4人が並ぶ混戦になりました。翌日のの2nd ラウンドは前日よりさらに早い時間のスタートで早朝から参加選手みな調整が大変そうでした。この日も強い雨が朝のうちは降っていてコースに霧がかかる時間もありましたが、次第に天気は回復したのですが残った水溜まりを考慮しながらのラウンドになりました。スコアを3つ伸ばし、トータル6アンダーで1位タイをキープできましたがピッチコンディションに我慢し耐える2日間でした。
最終日は早朝に降った雨が多少残った程度、ただ風が強い一日で向かい風になるホールが多く苦戦しました。海外のトップ選手たちはそんな強風の中でもしっかりと力強いキックでチャンスメイクしてきてただただ驚愕しました。
この日はいきなり1番ホールからボギーになってしまいスタートホールから順位を入れ替えられてしまいました。前半終盤になりバーディーを連続で穫ることができ再び1位タイに並ぶことができました。後半の半分終わった時点でこの大会で優勝したベンクラーク選手に再び追いつかれ1位タイに3人並ぶ拮抗した戦いでした。最終ホールにきた時点でどんどんスコアを伸ばすベンクラーク選手に3打差離されてしまい厳しい最終ホールとなっていきました。最終ホールは全員がバーディーを狙える位置にアプローチを付け、その中でも一番遠い自分からのバーディーパットになり、斜めに下るパットを外してしまいまた長い距離のパーパットが残ってしまいました。この上りのパーパットも外してしまい、結局ボギーのトータル5アンダーでホールアウトとなりました。
その当時の世界ランキングトップ4の選手が普通に目の前に揃ってのラウンドは痺れましたね。何一つ取っても肩を並べるところなんてない中で、じゃあ何をどんなことをすればいいのかを常に模索しながらプレーを続け物凄く精神的に疲れたのを覚えています。終始このメンバーの中でアプローチが良ければなんとかついていけると自分に言い聞かせながら自分を落ち着かせていました!
最終日の18ホールの中でも3打差あったのが追いつかれまた離し、最終的には逆に3打差以上離されて終わるというメンタルスポーツの真髄を経験しました。1打のミスや1ホールのミスはぜんぜん平常心で続けていれば追いつけることもあるし、チャンスは必ずやってきます。平常心でプレーを続け空回りしなければそのチャンスを拾うことができるし活かすことができると学びました。悪循環にプレーしたり考えなければチャンスがきた時に気づけますし、チャンスを拾う準備ができていればチャンスに気づきそれを拾いにいく権利があるということをこの大会で学びました。」(冨沢和未選手)
この大会は、ベンジャミン・クラーク選手がー6で大会二連覇を達成。冨沢選手は並みいる強豪を抑え、それに次ぐー5で2位タイという見事な結果を残しました。
右:準優勝の冨沢和未選手 中央は優勝したベンジャミン・クラーク選手
そしていよいよシーズンの集大成、この年のジャパンオープンファイナルを迎えます。
11月4日、長野県 軽井沢の馬越ゴルフコースで行われた日本No1を決める最終戦。
この年のジャパンオープンで10位以内の結果を収めた選手のみが参加できる大会。まさに日本フットゴルフ界の最高峰の舞台です。
大会前には優勝者が協会推薦枠によりワールドカップへの出場権を得ることが発表され、俄然選手たちの大会に賭ける思いは高まりました。
この年のジャパンオープンを物語るようにこのファイナルでも優勝決定はプレーオフにもつれ込む激戦に。優勝したのは小林隼人選手。小林選手はこの年アジアカップでも優勝と国内外での活躍が光ります。
「2017年のツアーファイナル優勝に続き、連覇することができました!試合終盤、奇跡的に長いパットが入るなど、何か不思議な力が働いた感じがします。心身ともに最高の状態でモロッコワールドカップに向かうことが出来ました。」
左:小林隼人選手 右は松浦新平 日本フットゴルフ協会会長
思えば前回のワールドカップアルゼンチン大会前のジャパンオープンファイナルでは代表落選の悔しさを味わった小林選手。それから3年。悔しさをバネに最高の形でモロッコ大会への切符を掴むことになりました。
長く、厳しいシーズンが終わり、ワールドカップモロッコ大会に出場する日本代表選手が正式に発表されました。
栄光の22名のワールドカップメンバーです。
冨沢和未選手 平野靖之選手 小林隼人選手 田中雄太選手
桑田寛之選手 木村勝選手 山縣祐人選手 八谷紘希選手
安村翼選手 新井晋選手 鈴木秀成選手 熊倉巧也選手
阿部敏之選手 軍司和久選手
大塚有尋選手 工藤誠司選手
阿漕洋子選手 前田春香選手 丸山桂里奈選手
辻本亮選手 高波瀬史人選手 三窪秀太選手
代表に選出された気持ちを選手の皆さんに伺いました。
「日本代表になりたくてフットゴルフを始めました。過去の代表落選もあり、2018年大会に初出場が決まった時は「ついにここまで来た!」という気持ちでした。」(小林隼人選手)
「日本代表として自身2回目の出場となるW杯が決まりうれしく思います。個人戦は勿論前回大会で叶わなかったチーム戦に向けて一丸となって臨みたいと思い、代表選手で沢山コミュニケーションを図り一致団結して臨みました。」(桑田寛之選手)
「選出頂いたことに感謝と嬉しさはありつつも、絶対に代表にならなければならないという強い思いはありました。しかしながら、その思いとは裏腹に2018年のジャパンオープンの結果は思い通りにいきませんでした。
選考大会が終盤に差し掛かる中で迎えたJAPAN INTERNATIONAL OPEN 2018での結果は、満足とはいかないまでも上位に食い込むことができ、最後まで諦めることなく戦えたことが代表権を獲得できたと感じております。」(八谷紘希選手)
「いよいよ世界と戦えるという気持ちが1番でした。幸いにも2018年シーズンは年間ランキングが2位だった事もあり、早々とW杯の代表に内定して頂くことができました。W杯という憧れの舞台に立てる事が分かった瞬間はとても感慨深いものがありました。また、自分自身初めてのワールドカップだった為、どこまで自分の実力が通用するか楽しみな気持ちが強かったです。」(平野靖之選手)
「目指していた舞台に立てる喜びと、選んでもらえたことに対する感謝の気持ちが大きかったです。」(前田春香選手)
「フットゴルフを始めたころはフットゴルフのワールドカップは全く意識していなくて、ただなんとかうまくなりたい、ボールを蹴るって楽しいなと思ってプレーをしていた普通のどこにでもいる50歳のおじさんでした。
そんなときに第三回フットゴルフワールドカップにシニアカテゴリーができたと聞き「もしかすればチャンス!」と思ったのは事実ですし、モチベーションにもなりました。やっぱり50歳になってからでも狙えるものなんだというのが大きいですね。
この時は国内のシニアのメンバーも今ほど多くなかったので。
ただ、日本国内で開催されたいくつかの規模の大きな大会に参加しにきた海外の選手を見たときに、世界の選手はどんな実力なんだろうと。自分の実力がどこまで通用するのか、「身長とキック力だけだと負けないな」とワールドカップに出場してみたいとワクワクしたのを覚えています。
2018年は正月明けに救急車で運ばれるような大病で死にかけ二週間の入院をしました(笑)。
この時にいつ死ぬかわからないのでやるならちゃんと練習しようと考え始め、退院後にどのような練習をするのか考えた結果、入院中にネットショップで人工芝を40㎡購入し退院日にそのまま自宅に練習場を整備するなどをして体を整え、なんとか夏の北京でのアジアカップに選ばれてからのワールドカップ選出と、大変な一年での狙っていた目標でしたのでととても嬉しかったですね。」(工藤誠司選手)
また、モロッコ大会に人一倍強い気持ちで出場を目指す選手がいます。
軍司和久選手。
22歳という若さでがんに侵され、余命半年と宣告されるほどの厳しい闘病生活を送った軍司選手。
当時のことやフットゴルフに対する思いを伺いました。
左:軍司和久選手
「僕は22歳の時に睾丸のがんで余命半年と宣告されました。9か月に渡る闘病生活の末に一命をとりとめ、“健常者”として生活が出来るようになりましたが、睾丸を失ったことで男性ホルモンが低下し、筋力が大幅に落ちるだけでなく、トレーニングしても全くといっていいほど筋力がつかなくなってしましました。また、骨髄も抗がん剤治療でボロボロとなり、貧血にも悩まされることになりました。二度と全力で大好きなサッカーが出来ない体になってしまったのです。
それでも僕は、サッカーをプレーしました。ずっとサッカー中心に生きてきた人生だったので、サッカーがなくなる人生は考えられませんでした。
しかしながら、貧血で走れない、筋力の衰えにより踏ん張れない僕のプレーは、僕の闘病を知らない人からすると“サボっている”ようにしかみえないようで、同じチームの選手から厳しい非難を浴びるようになりました。特にそれが競技志向の強いサッカーでは頻繁に起きました。このとき僕は、自分のような後遺症を持つ“非健常者”が健常者と競い合うことは不可能だと感じ、次第にサッカーから距離を置くようになりました。
この時はもう二度と、サッカーに捧げた情熱を取り戻すことはないだろうと思っていました。もう二度と、スポーツで本気になることはないだろうと思っていました。
フットゴルフと出会うまでは。
僕はモロッコで行われたフットゴルフワールドカップに日本代表として出場しました。健常者に混じって国内ツアーに参加し、健常者として代表の座を勝ち取りました。
マイナースポーツとはいえ、がん闘病後に健常者スポーツで日本代表に初選出されたのは僕が初めてではないかと思います。
日本代表に選ばれるまでは、自分ががんになったこと、後遺症があることは公にはしませんでした。純粋に健常者として勝負したかったし、走る必要がなく、接触プレーもないフットゴルフでなら健常者と対等に勝負が出来ると思ったからです。
勝負する、と決めてからは、全ての軸をフットゴルフ中心に据えました。ワールドカップに出場し、結果を残すことを目標にトレーニングメニューを考え、懸命に取り組みました。退院時、ベッドの縁に30秒座ることから始めたリハビリのことを考えれば、良くここまで身体を戻せたなと思うし、まだまだやればできるということを身をもって体感した一年でもありました。
僕はフットゴルフと出会い、フットゴルフと真剣に向き合う中で、いつしかサッカーに捧げた情熱をフットゴルフでも捧げられるようになっていたのです。
ワールドカップ出場を目標に努力し続けた1年間は、社会復帰してからの16年間の中で圧倒的に充実していました。夢の舞台への出場が決まってからは毎日ワクワクが止まりませんでしたし、代表選出の連絡をもらってからの1か月間はトレーニングにもより身が入りました。」
がんとの闘病、そして後遺症との闘い、さらには「競技者」としてフットゴルフに向き合うための闘い。そんな長年にわたる自分との闘いを繰り返した末に勝ち取った日本代表と夢の舞台フットゴルフワールドカップ。軍司選手はフットゴルフに自らの夢を、喜びを見出しました。
いつしか、フットゴルフは人々に希望をもたらすことが出来る存在となっていました。ワールドカップに出場できるのはごくわずかな選手だけですが、フットゴルフだからこそ叶えられる人々の多様性を認め合うダイバーシティや、排除されることなく老若男女、健常者、非健常者、障がい者、がんサバイバー、LGBTQやトランスジェンダーなど、全ての人たちが互いに認め合い、存在し合うインクルージブな世界を作れる力があると信じます。きっとSDGsの「誰一人として取り残さない」精神を体現できるものと信じます。
軍司選手のようにフットゴルフを通して人生に明るさを、楽しさを多くの皆さんに感じてほしい。心からそう思います。
そして日本代表にとって2回目の夢の舞台、決戦の地モロッコに降り立った選手たち。
次回はワールドカップモロッコ大会での選手の激闘の模様をお送りします。
どうぞお楽しみに!!