700マガジン
フットゴルフワールドカップ ~その3~
2021.10.27
現地時間2016年1月5日(火)。
地球の裏側アルゼンチンでフットゴルフワールドカップアルゼンチン大会が開幕を迎えました。
決戦の舞台はブエノスアイレス近郊のピラール・ゴルフクラブ。
ジャパンオープンとファイナルの激闘の末にこの大会への出場を果たした栄光の日本代表選手16名。
大会に臨む選手たちの思いはいかに。
「不安なことの方が多かったです。勝てるのか。サッカーで培ってきた両足は世界の選手を上回っているのか。選ばれるということは落ちてしまった選手も当然いるわけで使命感もあり、日本フットゴルフ界を世界に印象付けたいという気持ちでした。」(峯尾和延選手/2016年大会出場)
「ワールドカップ独特な雰囲気があるなと感じました。普段の大会以上に気持ちが高ぶる大会でした。各国の国歌が流れてその国がクローズアップされた時は特に気持ちが高ぶりました。」(桑田寛之選手/2016年・2018年大会出場)
「正直国を代表するという意識はなかったんです。しかしオープニングセレモニーで各国の国歌が流れ、各国の選手たちは高らかに歌い、自国の誇りみたいなものを肌で感じました。そして君が代が流れ出した時、自然とみんなが集まり、輪になって高らかに歌っていました。この時はじめて代表を意識し、あの高揚感は今でも覚えています。」(新井晋選手/2016年・2018年大会出場)
「サッカーではなれなかった日本代表。そして国を代表としてワールドカップに出場するという勲章。形は違えど25年を経て叶ったその舞台。順番に国家が流れる中、君が代の瞬間のしびれる思いと武者震いは忘れられない」(コージャ今村選手/2016年大会出場)
動画提供:軍司和久
フットゴルフワールドカップで初めて君が代が流れた瞬間です。言葉では表現出来ないほどの感動と興奮が伝わってきます。
栄光のワールドカップ代表メンバー16名をご紹介します。
冨沢和未選手 桑田寛之選手
八谷紘希選手 山縣祐人選手
鈴木暢也選手 新井 晋選手
鈴木秀成選手 コージャ今村選手
安村 翼選手 木村 勝選手
田中雄太選手 和志武 亮選手
樫原篤弘選手 高波瀬史人選手
堀之内 聖選手 峯尾和延選手
アルゼンチン大会には26か国230名の選手が出場。
初日が練習日、本戦は個人戦が3日間、団体戦を2日間かけて争われました。
大会の日程は以下の通り
1月5日(火)練習日、抽選会 現地時間9:00~18:00 練習ラウンド 現地時間18:00~20:00 歓迎会及び組み合わせ抽選会
1月6日(水)大会1日目 個人戦(全員)・・・現地時間8:00~18:00(最終組15:28~)※8分間隔
1月7日(木)大会2日目 団体戦 準々決勝 ・・・現地時間8:00~18:00 初日の個人戦の上位国が出場
1月8日(金)大会3日目 個人戦2日目(全員)・・・現地時間8:00~18:00(最終組15:28~)※8分間隔
1月9日(土)大会4日目 団体戦 準決勝、決勝 ・・・準決勝:午前、決勝:午後
1月 10日(日)大会最終日 個人戦 決勝 ・・・上位144人+144位に入らなかった国の最上位選手各1名(時間未定)
初日、個人戦1番ホール。選手の思いは様々です。
「私は日本人の中で1番スタートが早かったので今思えばワールドカップの1打目を蹴った日本人選手ですね笑。その時は全くそのような感情はありませんでしたが、とにかくみんながいい流れでプレー出来る様にいいスタートを切りたいなと思ってました。(実際バーディスタートでした)」(鈴木秀成選手/2016年・2018年大会出場)
「憧れていたワールドカップの舞台に、日の丸のユニフォームを背負って最初のホールに立った時は高揚と緊張感に包まれ夢の中にいるような心地でした。」(田中雄太選手/2016年・2018年大会出場)
「1番ホールに立った時は冷静だったと思います。前年に出場した国際大会(キャピタルカップ2015)で世界との差を感じていたので、やってやろう的にはならず、今のベストを尽くす。「真剣に楽しむ」この思いを持ってスタートしました。」(新井 晋選手)
「マイペースにいつも通り今まで培ってきた自分の力を出すこと。」(コージャ今村選手)
「不思議と緊張はありませんでした。長くサッカーをしてきて、大舞台の経験を積んできことが緊張を生まなかった理由かと思います。」(八谷紘希選手/2016・2018年大会出場)
待ち構えるはワールドカップならではの難コース。
距離は長く(約3,300m・・・ジャパンオープンのコースのほぼ倍の距離)、両脇にアゴの高いバンカーが構え、大きな池もある。高速グリーンは遥か彼方まで続く。それに加え容赦のない強風が襲い掛かる・・・
これまでオランダのキャピタルカップをはじめ、ワールドカップ代表を選考するジャパンオープンなどで培ってきた経験や技術を駆使して選手たちは果敢に挑みます。
初日の日没サスペンデッドを挟んだ個人予選2ラウンドの戦いを経て最終日の決勝ラウンドに進めたのは16名中9名。
そして最終日の個人戦決勝ラウンド。-1の好スコアを記録した冨沢和未選手が3日間の通算+10で日本人選手トップの80位タイに入りました。
冨沢選手に話を聞きました。
「個人的に一番インパクト強かったのはみんなレベルが高いなぁと思って大会中過ごしていましたが、何より海外選手のプレースタイルやルーティーンがハンパなかったです。サッカーやフットサルのようにチームスポーツではないので自分で自分を鼓舞し集中して戦わなければなりません。悪いプレーの後の叫びやいいプレーのときの雄叫びは日本でプレーしていて体験することのなかった世界でしたので選手としての海外選手に圧巻でした。そして、世界一を目指す大会で毎日毎日が全員国の違う選手で構成されたラウンドメンバーとの戦いは本当に痺れました。終わってみれば1つ1つの小さな差が結果として大きな差になって現れキャリア歴の少ない自分の心をポキッと折られました。」
また、それぞれのベストを尽くして懸命に戦った選手たち。大会を振り返っていただきました。
「初めての国際大会で1日目の反省が活かせた結果だと思います。ただ、2日目の後半から3日目にかけ、筋肉系のトラブルで思うようなキックが出来ず、利き足と反対の足でキックをしていたことを覚えています。トラブルはありながらも予選を通過し、最終戦まで進めたことは1つの収穫だと感じております。世界との差を大きく感じた大会となり、自身にとっては大きな経験とともに本当の意味でのスタートラインに立てたのではないかと感じた大会となりました。」(八谷紘希選手 ※予選第2ラウンドのスコア69はこの大会の日本人選手の1ラウンドでのトップスコア)
「トッププレイヤー、トップ国との実力差も改めて感じました。まだまだ日本全体のステップアップが必須であるととても実感した大会となりました。」(桑田寛之選手)
「フットゴルフの経験値が低いと感じました。蹴り方、マネージメント、すべてが上位国との差が大きかった。悔しいを通り越して、このままでは絶対に勝てないと思いました。どんな形であれまたワールドカップの地に足を運ぶと誓いました。」(峯尾和延選手)
そして、選手とともにこの大会を戦った瀧田知良トレーナー。現地には同行できず日本からのサポートという難しい状況。負傷する選手も出る中、必死に選手たちを支えました。
「アルゼンチン大会の時は選手の1日の終わりの状態チェックをメインに行いました。多くの選手がメンタルの上下が激しく、気負って試合に集中出来ていないという状況下、遠隔で出来るサポートにはメンタル的にもフィジカル的にも限界がありました。」
慣れない状況、現地であればもっとサポートが出来るのにと歯がゆい思いもされたことでしょう。こうした経験が次のワールドカップモロッコ大会でのサポートに生きることになります。
この大会、個人戦で優勝を果たした地元アルゼンチンのクリスチャン・オテロ選手。そのスコアは3日間トータルで-18。日本選手との間には大きな差がありました。
「世界一になったオテロ選手と大会通じて30打も差があった事、その現実を突き付けられた事が衝撃的でしたし、その後のフットゴルフの向き合い方に大きく影響しています。」(鈴木秀成選手)
※個人戦のトップ3選手。中央が優勝のクリスチャン・オテロ選手
オテロ選手と日本人選手の違いとはどんなところなのか?
「全て(が違う)」としながら具体的なポイントを挙げてくれたコージャ今村選手。
「ボールを正確に蹴ることは当然のこと、(オテロ選手は)10~20mやそれ以上の長い距離のパットを沈めてくる。近くはない、長く簡単ではないパットを入れてしまう技術。ここが日本の課題。」
八谷紘希選手にも聞いてみました。
「同一のフライトでプレーした経験はありませんが、小柄な体格からは想像し難いキック力と正確なパット力は強みだと感じています。現在、彼は第一線からは退いておりますが、当時の彼のプレーを思い出すとキック力はもちろんのこと、長いパットをことごとく決めてくる印象です。パットを一打で決めることが出来るという強みは最大の武器だと思います。」
世界の選手との間に立ちはだかる「技術」の差。
「技術」というものは、当然ながら個人の能力という見方があると思います。
ただ、単純に個人の能力、一言でいう“うまい下手”「だけ」の問題なのか。
この大会に視察団の一員として日本チームと帯同し、ともに戦い、後に2018年モロッコ大会には選手としてワールドカップ出場を果たすことになる軍司和久選手は「世界との差」について冷静に語ってくれました。
「私はフットゴルフにビジネスチャンスがあると踏んで、2015年からフットゴルフの国内ツアーを視察し始め、その流れで日本フットゴルフ協会の皆様に帯同する形で、2016年のアルゼンチンワールドカップの視察も行いましたが、当時の日本国内のセッティングとアルゼンチンのワールドカップのセッティングでは、いくつかの大きな違いを感じました。まず一つ目は距離の差。当時の国内のコースは、トータルヤーデージが2,000~2,500くらいに設定されていて、選手にとってはバーディーが取りやすいセッティングになっていました。一方、ワールドカップのコースはトータル2,769ヤードで設定されており、日本よりかなり長め。1ホールあたり20~30ヤードくらいの差があったのではないでしょうか。しかも、これは後から知ったのですが、アルゼンチンワールドカップの距離は、世界のスタンダードだったのです。」
普段から長い距離でのプレーに慣れた海外の選手たち。その差を大会の本番だけで埋めるのは至難の業でしょう。そしてオランダのキャピタルカップの時にも取り上げたボールの違い。そこでの経験から日本選手のボールへの意識は変わり、当時の最新で最高級のボールで大会に臨む選手もいました。
ただ、難しいもので「最新のものが最高、最良とは限らない」という現象が起きていました。
海外のトップ選手が好んで使用していたボール“スピードセル”はその当時はメーカーからの正式販売は終了しており、定価の数倍の価格である4万~8万円で売られていたそうです。
なぜか?その答えが「他のどのボールよりも“よく飛んで転がる”ボールだから」、ということなのでしょう。そしてそのボールを自分の技術が最高に発揮できるようにトレーニングして本番を迎える。そこまでのこだわりを持って臨み、スコアに違いを出す。
「アルゼンチン大会では、日本選手の飛距離は上位選手に比べて1打あたり5mは短かったと思います。1打毎に5mの差が出ていたとしたら、2回蹴ると10mの差が出るわけですから、日本選手はPar4のホールでは常に10~20mのハンデを背負いながらバーディーパットを狙っていたということになります。」
さらに軍司選手はコースについても言及します。
「二つ目の違いはコースセッティングです。特にカップの位置には大きな違いがありました。当時、日本のコースはいわゆる“ラフ”にカップが切ってあったのですが、ラフの場合、ボールが転がりにくいので、アプローチもパットも強め強めに蹴る必要がありました。つまり、当時の国内のセッティングには、繊細なタッチは求められていなかったんです。一方、ワールドカップでは、No.1でいきなりグリーンのど真ん中にカップが切ってありましたし、その他のホールも、基本的には芝の短いフェアウェイにカップが切ってあって、繊細なパットが求められるコースセッティングになっていたんです。
これも後から知ったのですが、ヨーロッパのコースでは、2016年の時点で既に、グリーン奥やエッジ(グリーンの縁にある若干芝の長い部分)にカップが切ってあったそうです。この場合、カップにボールを寄せる、入れるためにはゴルフのグリーンの上を通す必要があるわけですが、当然、グリーンの方がラフよりも、更に言えばフェアウェイよりも芝目が短い為にボールが転がりやすく、しかも止まりにくくなるため、繊細なボールタッチが求められます。オランダでそうしたコースを経験した日本選手もいましたが、それでもなお、常日頃からラウンドしている海外選手と、ほぼ初めての挑戦となる日本選手では、対応力の違いは歴然でした。」
2016年当時、この大会で団体優勝を遂げたアメリカではすでに500以上のフットゴルフがプレーできるコースがあったそうです。イギリスでも250コース以上。対して当時の日本では、常にフットゴルフがプレーできるゴルフ場は2か所のみ(現在でも20か所ほど)。
そしてゴルフとの共存の中でフットゴルフのカップがラフではなくゴルフのグリーンの側にあるコースセッティング。
一言で「環境の違い」と言えば簡単ですが、日本のフットゴルフに立ちはだかる大きな「壁」であり、それは現在でも続いているものです。
「プレーできる環境、海外で勝てる環境」
この大会を経て、日本フットゴルフ界は現実と向き合いながらこれを追い求めていくこととなります。
そして、この大会の「日本チーム」としての戦いについて触れさせていただきます。
日本代表は個人戦の予選第1ラウンドの結果により8か国が出場できる団体戦には出場できませんでした(チーム総合成績は第13位)。
団体戦に出場出来なかったことについて、そして他の国の団体戦の戦いを見た選手からこんなコメントをいただきました。
「今でも鮮明に覚えてます。初日2オーバーで日本代表の中でトップスコアを出しましたが結果団体戦に日本代表は選ばれることはなく、イーブンパーもしくはアンダーで回ることが出来ていれば団体戦に参戦出来たので悔しさと責任を感じ崩れ落ちました。国の代表であることに力の無さ、みんなが望む形に出来なかったこと、決して忘れてはならないと。」(峯尾和延選手)
「国を背負って戦うとはこういうことなのか、と特にイギリスvsアルゼンチンの試合を見ていて感じました。彼らの情熱、集中力、団結力を見て初めてホンモノのフットゴルフ、を見たような気がします。」(鈴木秀成選手)
「国が一丸となり、トーナメント方式での上位8ヵ国での試合を観戦した際に、改めて国同士プライドをかけた本当に負けられない戦いで、全てをかけてたたかっているのがこちらにも伝わってきて、この大会にかける想いの強さを我々以上にあることを痛感させられました」(桑田寛之選手)
国と国との戦いは「ワールドカップ」というものへの情熱をこんなにも強くさせるものなのか。
選手たちのメッセージからはそんな意識を感じさせます。
※団体戦優勝のアメリカチーム
また、残念ながら個人戦の予選を通過できなかった選手たちが最終日の決勝ラウンドに臨む選手のキャディとしてともに戦った、という感動的なストーリーをご紹介します。
悔しい気持ちを抱えながらも仲間をサポートし、ともに戦う。
ここにチーム「日本」を見た気がします。胸が熱くなるメッセージです。
「決勝ラウンドに臨む私に『コージャさん、良かったら明日キャディしますよ』と声を掛けてくれた同世代のキム(木村勝選手)。彼自身、予選突破はならなかったが、自らサポート役を買って出てくれた。ホールを重ねるごとに二人の距離感とコンビネーションが噛み合っていき、二人で戦うってこういうことなんだと感じていた。
最後の18番ホール、10mのバーディートライ。 左右にバンカーがあり、馬の背になっているために真っすぐ打たなければどちらかのバンカーに落ちてしまうシビアなシチュエーション。二人で手前と奥からラインを読んだ後にキムが問いかけてきた。
『コージャさん、どうする?バーディー狙い?パー狙い?』 『パーでええわ』 (初日に同じ位置から右のバンカーに入れてしまいボギーだったため) 少しの沈黙から口を開いたキム。 『もう一回、ヨコから 見てきてコージャさん!』 無言で再度ラインをヨコから見た。 『どうする?』 『バーディー獲りにいくわ。』 (ヨコから見ることで「入る」とポジティブな感情が沸いた) 無心で放ったボールはイメージ通りの軌道を描き、真っすぐピンへ向かっていった。ボールがピンに吸い込まれた瞬間、無意識のうちに雄たけびをあげ、二人で歓喜の抱擁を交わしていた。キムのおかげで自分のプレーができた。心強かった。幾度となくその存在に助けられた。本当に感謝している」(コージャ今村選手)
左:木村勝選手/右:コージャ今村選手
「安村選手のキャディをやりました。私自身はW杯個人戦を2日目を終えて残念ながら予選通過はできませんでした。そこで、決勝ラウンドでは予選落ちした選手で決勝に進んだ選手のサポート含め、キャディとして帯同しました。 安村選手は同い年で、代表選手の中でもプライベートで仲が良く、特にコミュニケーションを取っていた選手でしたので、お互いに進んで組ませてもらいました。ラウンド前は、自身が決勝に進めなかった悔しい気持ちが強く、キャディとしてプレイヤーを支える役割に対して複雑な思いは正直ありました。気持ちを切り替えてプレーが始まると、安村選手と二人三脚で共に頂点を目指し、キャディとして最善を尽くし、最終ホールが終わるまで、2人で最後まで戦いました。 他の選手も含めて、チームジャパンとして一丸となって戦うという意識を全員が持って挑めたのは、翌年のアジアカップ等での団体戦優勝などの結果に繋がったのだと思います。大会を終えて2人で一緒に最後までやり切ったという思いが強く、プレーしていない私自身も自分がプレーしているようで非常にいい経験となりました。」(田中雄太選手)
左:安村翼選手/右:田中雄太選手
「今でも思い出すと目頭が熱くなります。決勝ラウンドは選手でもある和志武選手にキャディとして同行してもらうことになりました。和志武選手は強い信念とメンタリティ、観察力、コースマネージメントに優れた選手で絶対的な信頼があります。 日本チーム一丸となって最後まで戦う。和志武選手と最後は一緒にホールアウトしたいと強く願いキャディを依頼させてもらいました。私のコンディションは今までにないくらい悪く内転筋の肉離れで内出血、蹴るたびにブチブチと切れる音がして激痛が走るなか、なんとか一つでもスコアを伸ばしたいと思いプレーしました。最後まで戦えたのは和志武選手が側に居てくれたからだと思います。選手としても人としても尊敬する和志武選手が側にいる安心感を感じてプレーをすることが出来ました。うまくスコアを伸ばすことが出来ず焦ってしまいましたが会話をしていく中で和志武選手の凄さを感じました。 そんな中でも絶対忘れない和志武選手の行動。ティーショットでボールを池に落としてしまいボールがなかなか取れないなか、和志武選手は大切なシューズを履いたまま池に入っていきボールを拾ってくれました。一緒にラウンドしていた各国の代表選手、日本から応援に駆けつけてくれたスポンサーの方、マーシャル、その行動を見ていたすべての関係者が和志武選手に拍手を送りました。これが私にとって忘れられないワールドカップとなりました。 私が最も尊敬する目頭が熱くなるフットゴルファーです。」(峯尾和延選手)
写真上 左:和志武亮選手/中央: 峯尾和延選手
日本にとって初めてのフットゴルフワールドカップ。数字に残る結果としてはいいものではなかったかもしれません。
しかし数字だけでは語りきれない数々の経験と大きな感動を残してくれていました。
彼らの戦いを、思いを日本中の、そして世界の人々に知ってほしい。
編集を進めながら強く思いました。
次のステージに向けて動き出す日本フットゴルフ界と選手たち。
次回は2018年ワールドカップ モロッコ大会に向けた動きを追います。
どうぞお楽しみに!!